今回は身体表現専門家のJOUさんとの対談です。
ゆりかごから墓場までの体の現場に関わる仕事 カラコロ:JOUさんは身体表現専門家ということですが、体と心と聞いてピンと思うことを話してもらえますか? JOU:私はもともとダンスの世界から入って現在は体と心の専門家になっています。身体表現者として美術大学で講師をやったり、地域コミュニティに関わらせてもらったりして主に福祉、教育、芸術の分野で仕事をさせて頂いています。具体的なものだと、高齢者の施設での体を使ったワークショップ、地域コミュニティでの親子体操、コミュニケーションダンスなどの身体表現という芸術を通した社会福祉活動と言えるかもしれませんね。 カラコロ:素晴らしい活動ですね、そういう仕事は自分で探すんですか? JOU:いいえ、私は売り込みが苦手なので、今までやってきたものは全て人伝いでの仕事です。コロナ以前は私の活動をどこかの現場で見たり聞いたりした方からのアナログでのオファーでした。美術大学の講師になったというのも人繋がりでしたから。でもこれからの時代はもっとオンラインの世界になっていくと思うので、たまたまインターネット上で私の活動を見たという方から仕事の依頼をいただくということも出てくるようになると思っています。 カラコロ:JOUさんは子供から高齢者までのほとんどの年齢の方を対象に仕事をされているんですね。ゆりかごから墓場までの体の現場に関わっているなんて、すごいですね。ではJOUさんが身体表現を教える時にいつも意識していることはどんなことですか?年代とか参加人数とかによっても多少変わるとは思うんですけども、仕事の時に一貫して意識していることは何かありますか? 「自由自在」が人生のテーマ JOU:そうですね、私は仕事以前の自分の人生のテーマが「自由自在」ということなんです。 カラコロ:自由自在ですか?自由という言葉はよく耳にするけど、自在っていう言葉を使う人は初めて聞いたかもしれません。自在というのは具体的にどういうことなんですか? JOU:自在というのは自分以上の何者か(社会、組織や団体)によりかかりながら自分が拠点になって体と心を自在に動かすということをやっていくこと、要するに「どうやったら与えられたものの中で楽に生きるか?」ということなんだと思います。それは全部コントロールなんですけどもね。 カラコロ:なるほど、ではJOUさんは体というものをどのように考えていますか? 体というのは器でイコール私たちの命というものが入っている容器なんです。今のところ生まれてから死ぬまでは体ありきな人生じゃないですか。そのうちにもっと高度にコンピューターの中でも生きられるという時代がくるかもしれませんけどね。それでもやっぱり体を持って生まれてきて体から離れて死んでいくというのは変わらないものなんです。体というのは命のことでもありますね。 カラコロ:JOUさんの考える命って何ですか? JOU:命というのは体という器をもって体験できる一定期間のエネルギー活動ですね。 カラコロ:命というのは、エネルギー活動なんですね。JOUさんはそのエネルギー活動を身体表現と結びつけるということを仕事としてやっているんですよね? JOUさんの中で命のエネルギー活動が起きていて、関わる人たちの中でもエネルギー活動がそれぞれ起こっていて、身体表現というのは、そのお互いのエネルギー同士が通じ合って電流が流れるみたいに交流するという状態になることなんでしょうか? 学校では教えてくれない体という器についての扱い方JOU:仕事での対象の方々はダンサーとか振付家とかの専門家ではなくて、ほとんどの方がダンスというものに興味のない普通の人なんですよ。別にダンスがやりたいわけではない人が対象なので例えば美大の学生たちの場合を例にすると、なぜ私があなた達にこの授業をやるのか、という自分の体の取り扱い説明をすることろから始めるんですね。 カラコロ:なるほど、体とかダンスにあまり関心のない人、自分と自分の体とか動きの間に距離がある人達が対象なんですね。JOUさんの仕事のテーマはそういう普通の人たちが体というものを専門家とはまた違う視点から見て、捉えて、扱っていくことを教えているんですね。みなさん楽しくやっていますか? JOU:はい、やっていますよ。まあ大学生に限って言えば、みなさん美大生ということでもともとはアートという創造、何かを作り出したいと思って学校に来ている子達なので、まずは彼らに体という器についてのとりせつをするんですね。 カラコロ:あのー、とりせつってなんですか? JOU:ああ、取扱説明書のことです。結構日本では良く使われている言い方なんですけどね、これ。 カラコロ:ああーーー笑!! JOU:これ意外と皆んな知らないんですよ。体という器についての取説は学校で教えてくれないから。 カラコロ:教えてください体の取扱説明。 JOU:体の取扱説明ですか?それは、それぞれの取説をいろんな流儀で教えているものは世の中にたくさん存在していて、ヨガだったり、太極拳だったりってことになるんです。ヨガでいうとヨガというフィルターの中で体の取説を教えてるということになるんですよ。 カラコロ:ふーーん、そうとも考えられますね。 JOU:ヨガ方式にのっとった取扱説明書、ボクシングならば、ボクシングというものにのっとった体の取扱説明もあるわけですよね。いろんなメソッドがあるわけです。 カラコロ:なるほど。ではJOUさんは美大生に実際にどのように授業をやっているんですか? JOU:私は人体と空間とテクノロジーを共存させていくような授業をやっています。例えばコンピューターのプログラミングを使って身体を空間の真ん中に立たせて手を上げるという人間の日常動作(身体表現)をすると映像での雨が降ってくるとか、ボタンを押すと空間の照明が消えるとかですね。 カラコロ:身体表現とメディア表現を組み合わせてるんですね。面白そうですね。それはやはりJOUさんがダンス表現をやっていた経験があるからそういう発想がでてくるんでしょうね。今聞いていてJOUさんが仕事の時に体の取扱説明をするっていうのは分かりやすかったです。 自分という鳥籠で「ごきげんバード」を飼いならす カラコロ:ではJOUさんが自分の体と心の健康で普段心がけていることはありますか? JOU:それはもう、常にいい気分でいるってことですよね。 カラコロ:その為に具体的に何をしてますか? JOU:常に自分の「機嫌とり」をしています。 カラコロ:それは自分で自分に言うってことですか?「私、元気!」みたいに。それとも自問自答をするっていうことですか? JOU:いやいや、このことは結構自分のブログとかにもよく書いてるんですけど、心に「ごきげんバードを飼いましょう」って言ってるんです。自分にもね。 カラコロ:心にごきげんバード?なんですか??? JOU:ごきげん鳥です、鳥だからバード。 カラコロ:ごきげんバード!ごきげんバードがJOUさんの中に住んでるんですか? JOU:そうです。それに、みんなにも自分の中に「ごきげんバード」を飼うことを勧めているんです。 カラコロ:どこで買えるんですか?その鳥さん。 JOU:いやいや、本当は自分の中にもういるはずなんです。それぞれ自分の中にいるんです。 カラコロ:ええ?自分のどこに住んでるんですか? JOU:人によって色々違うと思うけど、まあこんな鳥っていうイメージでもいいし、体の中に住んでいるかもしれないし、肩に乗ってるかもしれないし、これはもう想像力、妄想の世界ですね。ごきげんバード。 カラコロ:自分の中で鳥さんをイメージして自分と自分の中の鳥さんとコミュニケーションをするってことですか? JOU:そうそう、それで、自分の機嫌が悪くなると、その鳥さんがどこかにいなくなっちゃうんですよ。 カラコロ:いなくなるんだ!それは鳥さんの機嫌が悪くなるから?それとも自分の機嫌が悪くなるから? JOU:ごきげんバードはいつもごきげんなんですよ。幸せの青い鳥みたいな感じで、ここにいたんだ私の幸せはみたいにね。 カラコロ:じゃあごきげんバードさんとコミュニケーションすることで鳥さんに自分を元気にしてもらうんですね。悩みとか愚痴とかを聞いてもらうっていうことなのかな? JOU:まあそんな感じですよね。でもね、ちょっとイラッとしたり不安になったりして心に暗雲が立ち込めてくると、ごきげんバードがいなくなっちゃうんですよ。鳥さんは苦手だからそういうの。消えちゃう。 カラコロ:ごきげんさバードさんはご機嫌な人のもとに住んでくれるんですね。 暗雲が来たら払うべし JOU:そう、鳥がいなくなっちゃった!と思ったら即座にその暗雲の雲をパパパパっと払って鳥を探さないといけないんです。探して自分のところに戻してあげないといけない。 カラコロ:探したら戻ってきてくれるんですね。探すっていうのは実際にどうやって探すんですか? JOU:まずは普段から「ごきげんバードと一緒に暮らす」というのが大前提としてあって、それができていて、暗雲が立ちこもった時の雲の払い方というのができるようになるんです。実際には神社にお祓いに行くというのもひとつの方法です。 カラコロ:邪気という悪い気が入ってくると「ごきげんバード」が消えるってことなんですね。 JOU:そうそう、邪気にめっちゃ弱いからね、ごきげんバードさんは。自分でお祓いしてもいいんですよ。何かをチョキチョキ切ったりとかね。何かを切る、髪の毛を切ったりとかね。 カラコロ:失恋すると髪の毛を切るってよく言いますもんね。悪い気を切る、払う。そういえば知人が断食をすると気持ちがスッキリする、と言っていましたよ。 JOU:それも一つの方法ですね、お祓と似てますよね カラコロ:私はすごい掃除をしますね。 JOU:そう掃除もいいんですよ。断捨離ですよね。自分の住む場所を綺麗に整えるのもいいですよ。いらないものを捨てる、祓うんです。あとは、瞑想とか呼吸法とかヨガもいいですよ。呼吸法はヨガでもよく使われると思うんですけども暗雲が立ちこもったら一瞬で祓ってくれるんですよ、呼吸は。呼吸は使えますね。 カラコロ:意識した呼吸をすると思考とか感情の曇りを取り除かれるんでしょうね。 JOU:そう。深呼吸に集中する。鼻から息が入ってくる、どんどん入ってくる、ああ、息が抜けていってるということに集中することです。 カラコロ:そうすると今まで自分の呼吸が浅かったということに気付きますね。そして気持ちがスッキリする。それが大事なのかな? JOU:つまりそれは意識を暗雲から別のものに移すという気持ちの切り替えチャンネルを変えることなんです。意識を心から体に移す作業ですね。 カラコロ:やっぱり心なんだね、暗雲を生み出している要素っていうのは。 JOU:そうそう、その心がぐるぐるしちゃうわけね。洗濯機が回るみたいに。それでどんどん綿菓子みたいにぐわーーっってなるじゃないですか、綿菓子。綿菓子がどんどん大きくなっていくーーーという感じに暗雲も立ち始めるとどんどん大きくなってしまう。 カラコロ:どんどん雲が雲を呼ぶみたいにね。どんどんグレーゾーンに入っていくきますよね。 JOU:綿菓子は白いからいいけど、それが暗雲だったらもう鳥さん逃げちゃいますよ。そういう時にちょっとそれはそこ置いといて、鼻から吸ってーーーとやるとか、ヨガの逆立ちのポーズ、「あれっ、できねーー」みたいに意識を体に移す。できる人は逆立ち、できない人は呼吸をやればいいんです。 カラコロ:意識を体に戻してあげるんですね。心にぐーーとからまってからまって、がんじがらめーーー!!!になっている時にシンプルに体をかすっていうことに意識を移動してあげると、あら不思議?晴れてるーーーー。ごきげんバードもいるじゃん!となるんですね。 JOU:そうなんですよ、綿菓子をぐるぐる回していた機械の電気のスイッチがオフになる。心の意識は電気だからね、意識エネルギー。機械は見れば見るほど回ってるんだけど、そういう時こそ、アッ逆立ち、と意識をパッと切り替えることがとっても大事、切り替えられたらぐるぐるが止まる。 カラコロ:体を動かすということは、暗雲を払うというひとつの大きな要素になるってことですね。心と体、繋がってますね、すごいです。この話で体と心についてのミステリアスゾーンがひとつクリアになりました。暗雲という綿菓子から呼吸、体に意識を移すんですね。 JOU:あと暗雲を払うのにいい方法はもう一個あるんです。それは笑うことです。 カラコロ:笑いヨガってありますよ。 JOU:深呼吸して笑ったら完全に綿菓子は消えて無くなってる。ごきげんバードも戻ってくる。いいことづくめ。 杓子定規な決まった動きしかできない子供は、この先が危ない カラコロ:JOUさんは子供とかに教えることがあるみたいですけど、最近の子供たちの体はどうですか? JOU:最近の子供達を見ていて感じることは、杓子定規な考え方しかできない子っていうのはこの先、生き残れないということなんですね。 カラコロ:だから、体が杓子定規な決まった動きしかできない子供は、この先が危ないということなんです。 JOU:体の動きが豊かじゃない子っていうのはやばいんです。なんでかっていうと体と脳みその動き方はリンクしてるので、体が決まりきった動きしかできてないということは脳の動きも決まりきった考え方しかできないっていうことなんですよ。自由な発想ができないということは、この先どんどん発展していくAI (人工知能)に負けてしまって、ついていけなくなってしまうということなんです。これはリアルな問題なんです、最近の子供のね。 カラコロ:そのような子供に指導しなきゃいけないとなると大変ですね。日常の中で何ができるかな? JOU:私の講座ではそういう子供たちの為にそのようなことをテーマにした講座をやっているんです。 カラコロ:どんなことをやってるんですか?JOUさんが今までやった講座の中でこれは受けたとか、面白かった講座はどんなものだったのかを具体的に教えてもらえますか? JOU:まあその時々でありますけど、さっきの綿菓子が雲になるみたいなこととか、常に自由な発想でやっていますからね。自由な発想で、皆んなで大笑いできるかできないかということを大事にしてやっています。 カラコロ:笑う門には福来たるって言いますもんね。真剣に考えるんじゃなくて、大笑いする。 カテゴリーのボーダー越えが始まるJOU:そうそうです。それが大事です。頭じゃなくて、心ね。カラコロさんはヨガを教えているんですよね、カラコロさんも以前はダンスをやっていて体の自由な動きを知っていてヨガの世界に入っている。そういう人の方がヨガだけをやってきた人よりは教え方の世界観が広くて、深みのある指導ができると思いますよ。 カラコロ:確かにそれだけをやってきた人よりは外側の視点があるから自由度があるし、違う観点から関われるということはあると思います。教える時にそれまでやってきた分野の経験が生かされるっていうことはありますね。まあ何でもそうですよね。ダンスに限らずに、ヨガの指導者はそれ以前に他の分野での経験をされてきている方がほとんどだと思います。学者の方とかミュージシャンの方とか周りを見回してみるとそうですよ。今、実際に世界規模で転職する人が増えている事実があるというのは、そういうことに皆さん気付き始めたからだと思いますよ。ヨガに限らないと思います。会社員だった方が農業を始めたり、学者の方がダンサーになったりと、今までの時代はカテゴライズ専門家になることにみんな一生懸命でしたけど、こっれからの時代はそれが変わっていくでしょうね。 JOU:そうそう、違うものを持っていてそれを掛け合わせて目の前の人のために調合し直してカスタマイズしてあげるということのニーズが増えてくるようになるからカテゴリーのボーダー越えが始まっていくでしょうね。 カラコロ:それは創造性クリエイションと言えますね。一人一人がアーティストになる時代ですね。全ては創造、自分の頭を使って自分の体を使って心を使って自分なりの納得する答え、自分の道をそれぞれが見つけていくことをやっていってほしいですね。自分も含めて。 JOU:ほんと、ほんと。あとはひたすら笑うことです。 受信して出来上がった自分の取説を外側に向けて発信 カラコロ:最後に聞きたいんですけど、今、コロナで制限があるから世界中の人々が家にいることが多くなって外に出る時間が減ってしまって以前みたいに自由に外出ができない状況ですよね。JOUさんは家にいる時間が多い暮らしの中でコロナ以前と今とで大きく変化したことはありますか? JOU:オンライン発信がめっちゃ増えましたね カラコロ:それは、私もそうです JOU:あらゆるツールで家からの発信を始めました。 カラコロ:それでどんな変化が出てきていますか? JOU:これはみなさんにもお勧めしますけど、アプリをダウンロードすれば声だけの発信もできるんですよ。顔を出すのが嫌な人は声のアプリでもいいから自分の言葉で何かを外に向けて話す、ということを初めてみることをお勧めします。これを継続してやっていくと一つの自分の取説ができてくるからです。 カラコロ:そしてごきげんバードが、現れるんですね。 JOU:そう、戻ってきたごきげんバードが!となるんです。 カラコロ:自分から発信するという行為が大事なんですね。表現、表す。心の中の、ぐるぐるが消えて、ごきげんバードを自分の元に戻すんですね。 JOU:あとは笑う。 カラコロ:家から発信して、発信っていうのは声、言葉を発する、手を使って書くっていう、動作、体を使った行為アクションを起こしていく、これは立派な身体表現ですね。それをやりながら、ごきげんバードと仲良く一緒に暮らす。 JOU:オンラインでヨガをやるとか、好きなことを学ぶとか、それは外側から自分の中への受信ですね。オンライン受講はお勧めします。自分の家でできちゃうんですから。そして、呼吸の吸うと吐くみたいな感じで情報のインプットとアウトプットを繰り返してやくといいですね。インとアウト。吸って吐いて。受信した分、発信して出し切るんです。そして自分なりの取説を不特定多数の人、自分の外側に向かって発信していくことです。 カラコロ:素晴らしいですね。今日はこんなところでしょうかね。 今日はたくさん笑いました。 ごきげんバードを私も探してみようと思います。ありがとうございました。 JOU:ありがとうございました。 今回はアメリカ在住の大学教授カエラモエさんとの対談です karakoro:モエさんは体と心のハーモニーのために日頃気をつけていることは何かありますか? Moe:体と心のハーモニーのために気をつけてやってることですか? 2021年の年明けということもあるけれども、今年のテーマはまさにそれ、体と心のハーモニーよ karakoro:今年の豊富が体と心のハーモニーなんですね Moe:そうよ、病気にならないこと。それで、新年早々に断食をしたんですよ karakoro:へえ断食ですか?断食は誰かに勧められてやろうと思ったんですか? Moe:そう、10年以上前にね、大きな失恋をして思いがたち切れなかった時にお友達に「断食を3日ぐらいやるといいわよ」と勧められてね、やってみたんです。その時はアメリカバージニア州の山奥にあるヨガのリトリートセンターでね。初断食の後はスッキリして気持ちも断ち切れたし、要らない物への執着がスパっと断ち切れちゃったのよね karakoro:モヤモヤがなくなったんですね Moe:そうそう無くなっちゃったのよ karakoro:断食で全っく断ち切れたんですか? Moe:そうね、食欲もなくなったし、空気が美味しい!みたいな感じになったのよ karakoro:断食すると、食欲がなくなるんですか? Moe:お腹が空いて、辛い、辛いってならないのよ karakoro:そうなんですね、想像するのとは逆なんですね Moe:考えるのやめようとか、頭のコントロールじゃなくて、外から食べ物入れない断食は心が曇った時にやるといいわよ。私からのオススメのひとつ。体の内側を浄化するの karakoro:体を浄化していくと何が実際に起きて、気持ちはどんなふうに変化するんですか? Moe:体の変化はやっぱり内臓に詰まっているもののお掃除が始まるからね、まずはおトイレの回数が増えて、おしっこがきれいなお水みたいに透明になって臭いもなくなるのよ karakoro:体の中の毒素が消えていくんですね Moe:それから、ちょっと汚い話なんですけどね、大きい方は突然にね、ブワーッと出てくるの。水分が腸の中にも回るからだと思うけど、うわっーって、下痢をしたみたいにね karakoro:下り気味みたいになるんですね Moe:そう、腸にこびりついていたものが、うわーっと流されて出てきて腸がきれいになる karakoro:じゃあ、体が軽くなるんですね Moe:そうそう、それと同時に、気持ちも軽くなる。頭の中もすごく整理されるわね karakoro:クリアになるということですか? Moe:そうそう、それで断食の何がすごいかというと、「我」がなくなるところなのよ。私が私がという、そういう気持ちがなくなるの。体と心は繋がってるってことが良くわかるわ karakoro:なるほど断食は心のもやもやを払うには良さそうですね。話題は変わりますけど、体のことで普段から気をつけていることは断食以外に何かありますか? Moe:そうねえ、エクササイズをかなりやってるわ。体を動かさないとダメだからね、朝起きたらヨガをやることにしているの。それと30分くらいの有酸素運動か、軽い筋トレ karakoro:毎朝ですか? Moe:軽く毎朝やってるわね。あとは、チベットのサウンドボウルの音のバイブレーションを部屋と体に響かせてるわ。それから、プチクリーニングタイムお掃除をして空間を浄化するのが私の朝のルーティン karakoro:それ、毎日全部やってるんですか? Moe:はい、やってるわよ毎日 karakoro:全部で1時間くらいはかかりますよね? Moe:なんだかんだそういうことをしていると1時間くらいはあっという間に経っちゃうわね karakoro:朝ご飯を食べる前にエクササイズをするんですか? Moe:そうよ、朝のルーティンを終えてから朝ご飯を食べるの karakoro:すごいですね。モエさんにとってどうしてそれが必要なのか、理由を聞かせていただけますか? Moe:頭をスッキリさせるためにね。体を動かして頭をスッキリさせるため。まあ、私の仕事が全部、頭と言葉だからよね。昼間はエクササイズをしてない時間と食べてない時間は殆ど机の前に座ってコンピューターに向かっているでしょ、読んで、書いて、いろんな人と話してというのが私の仕事ですから。それに執筆活動もしているのでね karakoro:バランスを取るためにやってるんですね Moe:そう、バランスよね。結局ちゃんと頭が冴えてて、仕事として書けるっていうのは1日の2、3時間しかないのよね。だから、いかにそういう良いコンディションを作るかが大事になってくるわけ。朝起きた時に体と心のいいコンディションを作れば、コンピューターに前に座った時に、「書く」っていうことに2、3時間とっても集中できるというわけ。私の仕事はね、ほら、スピリットと繋がるみたいなことだから。わかる?私はお手紙とか書いてるわけじゃないのでね。理論的なこととか、やっぱり魂を入れて書きたいのよ、私がモノを書くということをやる時には karakoro:なるほど命をかけて仕事してるんですね Moe:そう命を捧げてるといってもいいわね。それが私の仕事、プロフェッショナルなのよ。人に伝えるということね。言葉とスピリットを繋げるのが仕事。今思い返すと、20代の後半に書き始めた頃も、これは私が書いていないっていう感じがする時は既に何度かあったわね。そういう時はね私というのはただの容れ物、媒体になってるだけっていう感じがするの。降りてくるのよ、何かがフワァーーーーッてね。これは私じゃないっていう瞬間は、なんか自分以外の人のスピリットとかそれ以外のものと繋がってる感じが確かにするのよね。それはね、自分を空にするということなんじゃないかしら?ソラじゃなくて、カラね。空にすると、そういうものが降りてきてくれて私の体と心と頭を通して言の葉っていう物に変様して現れてくれる。だからね、頭じゃないのよ。一応頭も使ってるんだけど、頭だけで書いちゃったら、そういうものとは繋がれないの。だから一見関係なさそうに見えるエクササイズとか、そういうことをやるようにして、バランスをとることをとても大事にしているの karakoro:ご自分で1日の流れを作ってその流れの中に仕事が入るように日々その流れを整えているんですね Moe:そうねえ、まあできれば仕事は50%それ以外が50%っていうのが理想なんだけど、現実は仕事が70%それ以外が30%っていうところだから、私もまだまだよね karakoro:いやいや、既にすごい域にたどり着いていらっしゃると思います。最後に、ご自分の気持ちをポジティブにキープしておくためにやってることはありますか?自然にこれやってると気持ちいいな、とか心地いいなとか、息抜きみたいなことになるのでしょうかね? Moe:お風呂に入ることね。今はコロナさんたちがこちら側にお越しになられているからね、いけなくなっちゃったけど、いらっしゃる前はスパとか温泉によく行ってたわね。今は残念ながらいけなくなっちゃたから、家でお風呂に入るようにしてるわ。シャワーじゃなくてね。お風呂ね。あとは、森の中、木があるところ自然の中をお散歩することかしら?そうそうそれから、歌を歌っているわ。言葉のあるバイブレーションは自分を癒すためにとてもいいのよ。私は自分を癒すために歌ってるの。心と体とマインドを繋げるためにね karakoro:いいですね。モエさんはご自身の仕事でスピリットと繋がってモノを書いている時に1番いいものが出てくると先ほどおっしゃっていましたけど、歌を歌っている時にもやはりそれと同じような域に行くっていうことですか? Moe:そうねえ、自分を抜け出せるかもしれないわね karakoro:そのための練習、心と体とマインドをつなげて書くための練習を歌いながらやっているということなんでしょうか? Moe:そうかもしれないわねえ。有名な作家さんとかアーティストの方も同じようなことをおっしゃっていますよ。何かが降りてくるという表現をする方が多いわね。若かった頃はこの人何言ってるのかしら?という感じで、そのことの意味がわからなかったんだけれど、今はそれがわかるようになってきているわ karakoro:自分じゃないっていうのはわかるような気がしますね。以前、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが舞台の上にいるときに天から神様に見られてると思って踊るようにしている、という表現をされているのを聞いたことがあります。私は神様の下で踊らせて頂いてる存在だから、という自身の存在、表現の捉え方をされていて表現者として素晴らしい方だなあという印象が強く残っています。 Moe:やっぱりね、そうなんですよ。自分が凄いとかそういうことじゃないのよ。我を捨てないといい仕事はできないのよ。 karakoro:なるほど自分を捨てて突き抜けるんですね。 Moe:そうそう。それは詰まっていたパイプの汚れをきれいに取り除くことなのよ。だからね、色々と断食したりとか、エクササイズしたりとか仕事には直接関係ないけども、そういう今ここという現実、瞬間に意識を向けたことを日々の生活の中に取り入れて繰り返すことで、自分が仕事と向き合った時に自然と意識が天と繋がるようになるの。 karakoro:素晴らしいですね Moe:全部繋がってるのよ。だからね、仕事でうまくいきたいんだったら仕事ばっかりやっちゃダメ。まずは体のコンディションから始めることよね。あともうひとつ、今年はお酒の量を減らさないと駄目だわね、私(笑)これが今年のもうひとつのテーマだわね。 karakoro:そんなに飲んでらっしゃるんですか? Moe:そこでバランス取っちゃうのよね karakoro:ストレスが多いってことなんでしょうか? Moe:お酒って簡単にブロックが取れたような気持ちになるのよね。 karakoro:お酒をのむと頭が麻痺するからなんでしょうかね? Moe:でもね、それは幻想なのよね。それはわかってるの。 karakoro:ベジタリアンとかは流行りで、というか今はもう普通になってきてますけど、ベジタリアンの人は「肉は食べない」と、自分でルールを決めて完全菜食主義になって私はベジタリアンだから肉は食べないと、節制をしている方々が結構私の周りには多いんですけど、でも頭でコントロールしてる方も結構多いんじゃないかなとかもチラッと思うんです。私の考えとしては本当に体が肉を消化できない消化機能構造に変化したり、もともとそういう体質の人はいいと思うけども、肉は肉の持っている良い要素があるはずで、肉のたんぱく質が病気や疲労回復の助けをしてくれるというポジティブな要素もあるから、全く食べないっていうよりは、体がもし必要としてるんだったら食べてもいいと思っています。ヨガの経典でも人間を盲目にさせる4つの要因のひとつとして、辞めてしまうとか拒絶するという行為は意外と人間は簡単にできてしまうけれど、それはただ自分の無意識の中に眠らせているだけで、それを溜め込んでいくと、どんどん自分の心を曇らせてしまう。ということが書かれています。なので大切なのはそのモノと自分との最適な距離を知ることだと思うんです。アルコールとの付き合い方も大事なのは自分の体に聴いて適度な距離を持ってつきあうことができるようになるのが理想なんだと思っています。 Moe:そうよねえ、体に聴くことは大事よね。そういう意味では断食をすると体の声が聞こえてくるのよね。 karakoro:なるほど。今日はこんな感じでしょうかね Moe:こんな感じでいいかしら? karakoro:はい、素晴らしいお話をどうもありがとうございました。今度モエさんの執筆された本を読むのを楽しみにしています。さようなら、モエさん。 Moe:さようなら、またね。 ベルギーの町を訪ねて ブイヨン フランス国境に近いスモワ川沿いに佇む小さな町ブイヨンを歩きます。 丘の上にそびえるブイヨン城が町のシンボル。町を囲うように流れるスモワ川と豊かな森に囲まれた美しい町。 きりぎりすとにあり Quand la sauterelle chante près de la porte ベルギーのコロナ感染者数がうなぎ登りで急上昇している。 お隣の国フランスでは夜間21時から朝6時までのレストラン、カフェ、バーの閉鎖、反対側のお隣りオランダではレストランとバーが完全に閉鎖。ベルギーは本日からレストラン、バー、カフェが完全閉鎖。ということで、私が教えているヨガスタジオでも指導者の緊急会議が先週金曜日がZoomにて行われた。 今現在は現状維持でスタジオでのクラスを継続するけど、来週くらいにはスポーツに関連する施設への要請が政府から出されるようで、今まではマットの間を1、5m の間隔をとれば良かったのだが、今度は20㎡の間隔を開けなければいけなくなるみたいだ。という話で盛り上がった。 私の教えているスタジオでは私を入れて9人の指導者がいる。スタジオ代表者から他の先生達の意見を聞きたいということで、ビデオミーティング。 スタジオに4、5人しか入れなくなるのだったら完全予約制にして、クラスにビデオを設置して同時にライブでオンラインレッスンが受けれるようにしてはどうか? とか、4、5人しか入れないんだったらグループレッスンの意味がないから皆オンラインレッスンに切り替えて自宅でレッスンをすればいいのでは? キネジスト(国家公認整体師)であるヨガ指導者はヨガはスポーツではなく、身体と心に良い今のこのコロナストレス社会に必要なものであり、科学的、医学的、哲学的なものである。という内容の手紙を政府に向けて提出して、ヨガスタジオの規制を緩めてもらえるように検討してもらうのはどうか?その為にベルギーの大きな他のスタイルのヨガスタジオに声をかけて出来るだけ人数を多く集めてベルギーヨガ共同体として政府に提出すれば、説得力があるにちがいない。 など、皆で話すと自分では考えないような色々な考え方が出てきて、なるほど〜、と考えさせられた。 こういう時には日本人特有の人の意見を聞く側に回ってしまう自分。特に意見も言わずに他の人の話に耳を傾けながら、自分の中でいろんなことを考え始める。 でもそれでいいのだ。人の話を聞きながら自分の中での自問自答が始まることは、ヨーロッパ人特有の思いつくままに意見を言うことと同じくらい大事だというのは、このヨーロッパに住み始めてから次第に身につけてきた自分なりの護身術みたいなものだ。日本人ならではの思考回路と状況理解とコミュニケーションの時間差がありながらも、自分なりに理解し、自分で答えを探してゆく作業。人の意見も聞きつつ自分の考えを止めないでいると、ある時ふっと、これはやっぱりこうしたほうがよさそうだ、とか、ああ、あの人が言っていたのはこういうことだったのだろう。。とか時間と共に話し合いの内容が発酵してくるみたいに自分の中でまとまってくる。 この作業を面倒くさがらないでやることは、自分がこの社会の中でしっかりと生きていくための大切な過程なのだ。 身近でもコロナ陽性になっている人がチラチラと出てきて、気をつけていてもいつ自分が感染してもおかしくない感が迫っている。
3月の時のようなロックダウンにならないことを願いつつも、この先の方向性をしっかりと見極めなければならない。 そんな矢先、姉からラインのメッセージ、これからは"風の時代"になるんだって。近代が終わって風に身を任せて生きる時代が来る。 あなたの時代だね〜。 私の時代? 私の人生は確かに"流れに身を任せて生きてきたらこうなっていた感"満載の人生なのだ。 そうかあ、このままでいいのか。 風のように生きる。 風の時代。 不安はないわけではないけど、なんだか姉のメッセージで心が軽くなった。 姉は最近ますます魔女度を上げてきているようだ。最近畑仕事に精をだしている姉も私に負けない風のような人生を楽しもうとしている一人のようだ。 まずは今までやろうと思っていて形にしていなかったことを形にしていこうと思った。 時間はかかるけど、ひとつづ進めていけば形になるのだろう。 まずはその第一歩。 その作業をやる前とやった後では自分の中の何かが変わっているはずだ。それが目に見える形でも見えない形でも、やったのとやらないのではそこに雲泥の差がでると信じて向かいあう。 執着せずに経験を重ねて、時が来たら手離す。 絶えず形を変えて流れる雲のように風に舵取りを任せてみる気持ちで日々を過ごしたいものだ。 胸がざわついている 秋の肌寒い空気が体を通り抜けてゆく どこからともなく冷えの気配を感じる今日この頃 暦はすでに神無月 ここ数日は人間の儚さや脆さと同時に自分が今ここに生きていること、生かされていることの不思議さや理由を何度か考えさせられたり実感した瞬間に見舞われた。 人間はふとしたことがきっかけで人生を大きく左右するような出来事に出会うことがある。 いい事でも、悪いことでも。 人生の中で何年も生きていたら何度かそういう"まさか"な状況に出会だろう。 人やモノにはそれぞれその内側を流れているエネルギーがある。 自分の中を流れるエネルギーそして自分以外の周りを流れているエネルギー。 ひとついい事があると連鎖するようにいい事が続いて起こることがあるし、逆もまた然り。 この流れの中で生きてる私達はこの流れを止めることはできない。 でも、自分の中のエネルギーはコントロールすることができるんだと思う。 少なくとも自分の中のエネルギーがどうなってるのかを感じることが出来る。 相手に何かを変えてほしいと思ったら、まず自分を変えてみる。とはそういうことなのだろう。 嫌な事が続いている時には、掃除をしてみたり、外に出かけてたり、美味しいものを食べたり、気心の知れている友人に会ったりしてエネルギーの流れを変えてみる。 それでも悪いことが続くような時には外側じゃなくて内側を見てみる。 鏡を覗くように。 エネルギーのお祓いをして、悪い流れを流して新しい流れを誘う。 そして起きたことを冷静にもう一度見つめる。事実を、真実を自分の中のスクリーンの画面を巻き戻して再生して何度も見直してみる。 記憶、状況、言葉、思考、行為。。。 人間という生き物に与えられた天然マシンをフル回転させるのだ。 機械にはこのようなことができるのだろうか? 出来るようになる日が来るのか? 人間は無駄なことをする生き物だ 無駄な時間を過ごせる生き物だ 機械みたいに必要なことだけ、 必要な分だけ、 必要な時間だけでいいのだろうか? いや、一見不必要だと思うような事が実は人間に豊かさとか優しさとか創造性や閃きや 明るい未来を与えてくれることがあるということに気づく 遠回りをしたり 迷子になったりしながら 珍しくこんな文章になったのは、中秋の名月のせいだということにしておこう 月と対話することを自分に許してみる お月様 あなたは永遠という時間を持っているのでしょうか? あなたには私達の未来が全て見えているのでしょうか? 一体あなたは何ものなのですか? 変化している自分を素直に受け入れる
こんにちは自分 冷たい空気が何故か心地いい 冷たいと感じるのは温かいということを知っているからという、当たり前に驚かされる自分 生命とはすごいものだ 循環という流れの中で私たちが今ここに生かされていることの奇跡 Il est temps de drainer les rizières et de récolter le riz みずはじめてかるる 秋晴れの週末 昨日はブリュッセルの街中へ久々に出かけてみた。天気が良いからか、マスク着用した人で街中は溢れていた。 市内のコロナ感染者の数は夏休み明けの9月初めから増加中。市内の幾つかの学校が閉鎖されたとのニュースも流れ始めている。一方でコロナの威力は弱ってるようで、陽性と言われた人でも風邪を引いたような感じとか、全く症状がないという人も多いらしい。 私も含め、人々はしっかりとコロナ対策をしつつも上手に社会参加しているようだ。 さて、週末はブリュッセルの歴史ある建築物への見学がガイド付無料でできるというイベントがあった。 昨日はブリュッセルの中央駅近く、いつもならば観光客で賑わうグランプラス、マネキンピッス(小便小僧)近くにある"Cirio"というカフェの建築、内装見学へ。 昔は証券取引所(Bourse) だった建物の真横にあるカフェ"Cirio" 私がベルギーに住み始めた15年程前、その当時仲の良かったダンサーの友達に連れられて始めてこのカフェに連れて行ってもらった時には正直この建物の良さが分からなかった。なんだか埃りっぽい感じの薄暗い空間、やたら鏡が多くて迷子になりそうな気配がする空気感が、どこからかお化けが出てきそう、と感じて落ち着かないでいた。その横で「ここに来るとすごく気持ちが落ち着くんだよ。何時間でもここにいたくなるんだよね〜」と、心地良さそうに語る友人の姿を見ながら 「そうなんだあ」。。。 「私にはその良さがわかりません」というのが今から15年前。 カフェ"Cirio"の歴史、建物にまつわるいろいろなエピソードをフランス語で聞きながら、あの当時は全くフランス語が喋れなくて、聞いても意味がわからなかった当時の自分を思い出して一人で苦笑してしまった。 マスクをしながら、楽しそうにガイドする声がフランス語で聞こえてくる。室内が暗かったので出来るだけ間接照明を取り付けて室内を明るく見せたり、ちょうど人の顔が映る位置に鏡を取り付けることで、沢山の人でカフェが賑わっているようにしつつ空間を広く見せる工夫などなど。 それから、興味深いエピソードも。 Cirioの壁は革製の模様入り、その革製の壁は当時鎖国中だった日本へも紹介され、その壁の美しさに感動した日本人が"城"などの内装に同じものが日本でも出来ないものかと試行錯誤を繰り返した結果、紙とアルミの素材でほとんど見た目は同じ、そして皮に比べてコストがかからず、掃除、手入れも簡単にできるという壁紙を作り出した。というエピソード。 そのうちにその壁紙はヨーロッパに逆輸入されるようになったらしい。 そんな日本とヨーロッパの交流話は聞いていてなんだか嬉しくなる。 この Cirioが流行りの当時は社交のパーティーなども行われていたそうで、トイレの入り口が女性と男性に分かれているけれど、中に入ると秘密のドアがあって男女が秘密のドアの向こうに消えることもしばしばあったらしい、などのヨーロッパならではの大人の心を掴むトークも盛りこんでくれていた。 さて、日曜日は市内全域ノーカーディ。 車がないから、皆自転車で道路の真ん中を気持ち良さそうにスイスイと移動する日。 ということで、近所にある以前から気になっていた建築物を見学。 60年代に建てられたモダンな建物。 そして外からは想像の出来ない室内の空間にタイムスリップ。 9階建てのその建物は各階が800㎡の広さ。自分の身長よりも大きな窓が室内を覆っているので、窓からは近くの森林、その向こうにブリュッセルの街が遠くまで見渡せる。 1階は カフェとロビー、2階からは建築やデザインのオフィスが入っているようだ。 外に出たら外の空気が心地良かったので、自転車で走り森へ向かった。
ブリュッセルにはまだまだ自分の知らない未知の世界が広がっているようだ。。。。 Lorsque le sol devient humide et chaud et humide 8月の始まり。 先週からブリュッセル隣アントワープ市は半ロックダウンの再開。オフィスワークは自宅での完全テレワークに切り替え、外出時のマスク着用厳守、必要最低限の買い物のみ可能、人に会える回数は1週間に5人まで、フィットネス、スポーツジムの閉鎖、紛れもなくヨガスタジオも閉鎖された。 ここブリュッセルも外出時のマスク着用厳守、人に会える回数は1週間に5人までとなった。 いつ、何が起きてもおかしくないと思っていたほうが良さそうだ。 明日は我が身。 先日中学生の娘に、もし9月から学校が始まらなかったらどうする?と聞いたところ、やりたいことをやって過ごすよ。絵を描いたり、ピアノ弾いたり、友達と会ってしゃべったり。料理もやりたいし。勉強は自分が知りたいことだけ、知りたい時にインターネットで出来るし大丈夫。 あっ、でも日本に行きたい。まあ飛行機に普通に乗れるようになったらね。と、あっさりと言われ気が抜けた。あと、勉強も遊びもコンピュータが必要になるから買って欲しい!としっかり要求までされてしまった。 なるほど、将来を担う若者の展望はそんなにお先真っ暗でもなさそうだ。 ちょっと安心。 コロナウィルスは私たちに大きな影響を与えている。私の周りでも人生の軌道修正を始めている人たちがポツポツ出始めてきている。 若いキャリアウーマンのキャロルが言うには、仕事はテレワークで自宅で可能、何がすごいって仕事用の洋服や靴、カバンなんかが不必要になっちゃった。 上着だけちゃんとしたホームウェアを着てればOK. 最近のコンピュータのビデオカメラは勝手に綺麗な画像に美人修正してくれるから、すっぴんで大丈夫、メイクの必要がないんだそうだ。これには笑った。 それに同僚とランチやカフェに行かなくなったから食費が大幅に削減。本当はお金はそんなに無くても十分楽しく生きれるんだわ〜。と笑いながら話してくれた。 友人のマリーも旦那さまがノルマンディーに小さな家を購入し、先日家族で滞在してきたらしい。すごいよかったよー。空がこんなに綺麗だったなんて今まで知らなかった、植物もなんだか生き生きしてるし、なんたって空気が綺麗。ノルマンディの海岸で見る夕陽は感動そのもの!!とエネルギーチャージが行き届いた全身から溢れんばかりの勢いで幸せそうに話してくれる。 そこの地域で獲れる食べ物が新鮮で美味しい!レタスひとつにしても、シャキっとはりがあって、味もしっかりレタスの味がする、レタスなんだよね。この辺の人たちは自分たちが食べる物をこうやって育てていて、余ったら近所の人と物々交換をしているみたい。コミュニケーションしながら暮らせる生活は豊かでいいんだよ。子供ももう何年かしたら独り立ちするし、その後は旦那と二人でここで暮らすのも悪くないなあ、ていう気がしている。としみじみ言っていた。 さて、同業者のマルティンにも先週会った。友達夫婦がロックダウン前に南仏の田舎に畑付きの家を買ってロックダウン中に移住。部屋が余ってるから住んでもいいよー。と言われてかなり本気で移住を考え始めてるらしい。
ヨガの仕事は辞めて、自分の食べる物を育てる畑仕事やその地域で必要とされてる仕事をやってみたいと言う。ヨガはやらないの?と聞いたら、 ロックダウン中に瞑想をしていて "ヨガは自分でやるのが本当のヨガ" 誰かに習うものじゃない。 と、気づいたと言う。 ブリュッセルで人気の魅力的なヨガインストラクターの本心を聞いてドキドキする自分。 彼女はヨガの精神をまさに彼女の人生の中で昇華させている、正真正銘のヨギーだ。 離欲。手離す。 そこから無理をしない自分の本当の生き方が始まるのかもしれない。 さて、自分はこれからどの方向へ進めばいいのだろうか? 今世界中のほとんどの人々が立ち止まって人生の羅針盤をじっと見つめているのではないだろうか? 無理をしない、生き方、行き方 とりあえずはヨガで心をニュートラルにしてみることにする。 Quand les fleurs de lotus fleurissent 7月に入りバカンスに出かける人たちがぽつぽつ出てきたこちらベルギー。 3ヶ月近くのロックダウンが解除され、政府からも7月からは第4段階、気をつけながら普通の生活が可能との指示。待ってましたとばかりに渡航可能地域が出ているフランスやイタリアへ出かけてゆく人々。 いまいちバカンスの取り方が上手じゃない私。7月8月はバカンスに出かける人達から頼まれたヨガの代講クラスで予定がびっしり埋まっている。バカンスかあ〜。バカンスに出かける人の代講をしてる自分は頑張ってて偉い?なんて心のどこかで思ってる傲慢な自分にイヤ気がさすが、でもまあ、それも人間的で良しとしよう。矛盾の中にこそ、真理あり。この今の自分の心の状態を大事に見守ることが何よりも大切だ。 さてさて、ヨガを教えることを仕事として考えているヨガ指導者は世界中にどのくらい存在しているのだろうか。それよりもまず、ヨガは社会の中で何の職種?というのは時々ヨガ仲間の間で議論になる。教育?美容健康サービス、いや宗教、医療、政治、いやいや芸術、研究?どこにでも属しそうで属さない特殊な職種。私が委託会社に作成してもらっている契約書を見てみると"non artist coaching 芸術家でない指導者"と会社に頼んだ覚えはないのに勝手に分けのわからない職種になっている。ヨガの指導者は社会のカテゴリーには属さない部類なのだ。ヨガ指導が社会的にカテゴライズされていないんだとしたら基本的には 仕事として成立しないということなのか? 半ば途方に暮れている中、姉からLineでメッセージ。 "今日般若心経の本を読んでて知ったんだけど、我慢は自分の傲慢さなんだって!確かに漢字が一緒だよ。執着の一種だと書いてあった。無理をするのは、この漢字の通り、理にかなってない自分勝手なアホな行為。こんなに頑張れる私ってすごいと無意識に思ってたんだね〜。いやー知らなかった。目が点!がんばるのやめることにしたよ " さすが姉妹、同じような時期に同じようなことを感じているらしい。 ヨガの経典の中でもこの執着(努力、修練)と離欲(解放,悟り,三昧)は密接に関係しているということで良くテーマになる。 簡単に言うと、努力はするけど、無理はしないように、創意工夫をしつつ自分の心をコントロールしながら生きること。結果や報酬を求めないで、今やるべきことに気持ちを集中するようにすれば自然と執着心がなくなる。ヨガは良く身体のコントロールと見られがちだけど、経典には"心のコントロールである"と何千年もの昔からしっかり記録されている。 ヨガの指導を仕事として考えないようにした方がなんだかすんなりと腑に落ちる。 今自分がやるべきことはなんなのか?頼まれている夏の代講を自分なりに創意工夫をしていかに楽しんでできるかに集中することなんだろう。 さて、先日ヨガの生徒さんと世間話をしていたら、その方は今移民の人達にご飯を作って提供する短期の仕事をやっているという。400人あまりの移民男性がその施設に滞在していて、50人が同じ部屋で寝泊まりをしているらしい。3密厳守が少しは緩んだとはいえ、そんなことは言ってられない状況がすぐ近くに存在している。仕事をしたくてもなかなかできない人たちも沢山いるんだという事実を知って身が引き締まる思いがした。バカンスどころではない。今、仕事があるという自分の状況に深く感謝しなければいけない。
ブリュッセルはここ2、3日天気が悪く強めの風が吹いて雨模様。風の噂では先週頃は宇宙的なエネルギーの大きな変化が起きた時だったらしい。日本でも九州地方では大雨が続いているようで、地震もあったとか? 先日娘と一緒に見た日本のアニメ映画"天気の子"。天気を変化させることができる"晴れ少女"の話。長い雨が降り続く異常気象の中、晴れ少女が不思議な力で晴れ間を呼び寄せ人々を喜ばせるストーリー。 ヨガのクラスも同じなのかもしれない。クラスの後になんか元気になって気持ちよかったなあ。と感じてもらえること。 もしかすると、そんなことがクラスのエッセンスとして大切な要素なのかもしれない。 |